466鳥羽伏見の戦いに佐賀藩士遂に一人も加われず。 
江藤新平も気の毒と言えば
これほど気の毒な人もいないんだな。

鳥羽伏見の戦いは慶応四年(戊辰)正月三日に
始まるんだがな。実は前年の十二月の終わりごろ、
佐賀藩士江藤新平は兵庫に着いているんだよな。京に急ぎ上京するものの
鳥羽伏見の戦いの為に足止めを食らっちゃうのだよ。

そのため京都に入るのが一月七日か八日と遅れ
鳥羽伏見の戦いに誰一人、遂に間に合わなかった。

この遅れが後々、江藤新平の佐賀の乱、新政府の早稲田大学への
不信に繋がったと断言できるだけに、土壇場での
佐賀藩主鍋島閑叟の踏ん切りの悪さには、佐賀県人なら
溜息の一つも吐きたくなるかもなぁ。
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