大日本帝国陸軍では、連隊に授与される旭日旗を「軍旗」と呼称した。 軍旗は天皇から
親授されたものであるから、天皇の分身であると認識されていた。
その長州の大先輩山田顯義兵部大丞が制定した軍旗を無くした責任感に乃木希典は生涯苛まれました。
乃木希典と連隊旗
https://yamato81.hatenablog.jp/entry/2015/04/04/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8%E3%81%A8%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%97%97
西南戦争において政府軍と西郷隆盛率いる薩摩軍とが熊本で戦端を開いたのが1877年[明治10年]2月21日です。
その翌日には乃木希典にとって連隊旗を敵に奪われるという事件がおこります。西郷軍が大挙して
熊本県内で事を起すという急報に接した熊本城の鎮台司令長官谷土佐出身の干城少将が、小倉の歩兵第14連隊に
救援を命じました、19日には先発隊が熊本城に到着し、これに続いて乃木希典の率いる本隊は20日に
久留米を出発しました、21日の午前7時には熊本市外川尻において薩摩軍13000の軍勢と戦端を開いたのでした。
両軍は互いに譲らぬ攻防戦となり、22日には一旦退くかと見えた薩軍の一部が植木に逆襲し、第14連隊の
旗手河原少尉が戦死してしましました。その為、明治天皇親授の連隊旗はむざむざと敵手に奪われてしまったのでした。
この事を乃木希典は重く受け止め、責任上その夜のうちに割腹して罪を謝する覚悟でしたが、任務遂行の為、遂に果たし得ませんでした。
※乃木将軍と日露戦争では山田将軍の部下だった児玉源太郎と一戸兵衛が203高地で活躍しています。戦上手は山田顯義譲りです。
乃木希典は山田顯義の一人娘の縁結びの神様です❤️