その千代夫人の写真を1936(S11)年の発刊後間もない『スタイル』で見つけました、駿河台の御邸(気紛れ荘Villa mon caprice)での撮影のようで、
すでに結核で健康を害されて帰国されていたころだと思います。「父(山田英夫伯爵)がお稲荷様にバチが当たるって申しますので(犬は)飼いませんの」が
印象的で、ドレスの仕立は上野広小路のカナノヤだそうですす(パリのバロン薩摩さんに関してはランバンやポアレなどの記述も見えます)。
夫人の着こなしや美容・ダイエットなどに始まり社交界で通用する美しさと教養はバロン薩摩さんが指導されたそうで、結婚前はふっくらした
日本的な方だったようですが、だんだん洗練されていって戦前の日本女性としてはすごく美しくハイセンスな方ではないかと思います、
なので治郎八さんも優れた感性の持ち主だったのではないでしょうか。千代子さんの身長は156-7pということですがスタイルが良いので
もっと高く見えるような、享年は42歳でした、美人薄命…
【バロン薩摩】希代の放蕩ぶりに驚愕!千代の存在と晩年は徳島に
治郎八は1926年大正15年に26歳の時一時日本に
帰国して千代と結婚する。
その後二人でフランスに渡仏。
相手は山田英夫伯爵の娘千代で彼女は
(松平容保の五男の娘)としていわば当時でいうお姫様。
出典:
http://silvermoon2010.blog27.fc2.com/blog-entry-187.html
その容姿から藤田嗣治には「ドーリー」と呼ばれた。
そして当時としては珍しく日本人離れした容姿で
若く美貌も財力もある夫婦として社交界ではひと際
目立つ存在として注目された。
渡仏当時はふっくらとした裕福な日本女性特有の
女性だった千代が既に渡仏してフランス社交界の
花形として名を馳せていたバロン氏の指導により
ドレスの着こなし、美容、ダイエットを指導して
どんどん洗練した女性に変化していったと言う。